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臨港線の軌跡

 清水港の発展と共に拡大されていった清水港線(通称 臨港線)。貨物を運び、旅客を乗せ、わずか8.3キロを走ったのです。

 1950年代半ばには、数少ない黒字線区として旧国鉄の赤字削減にも貢献しました。しかし、道路整備や輸送形態の変化という時代の流れに押され、昭和59年、68年間におよぶ歴史に幕をおろしたのです。

写真:昔の風景

鉄道と港を結ぶ全国でも珍しい鉄道

写真:鉄道地図看板 大正5年7月に建設された清水港線は、清水港で陸揚げされた資材を東海道本線に直結するために、東海道本線江尻駅(現在のJR清水駅)に輸送するのが目的でした。

 当初、江尻駅~清水港間1.4キロを走る貨物専用の鉄道でしたが、清水港の大改修が行なわれ、大正10年に日の出岸壁、富士見荷揚げ場、折戸泊地など大型船施設が建設されると、清水港線は清水埠頭まで延長されます。

 さらに、昭和10年代後半、貝島の埋め立て地に日本軽金属、日本鋼管、日立製作所などの大企業が進出し、清水港に本格的な臨港線が必要となってきたのです。

 昭和19年7月、清水埠頭から三保まで延長され、まず貨物列車だけが運転されました。三保の企業の従業員たちは、全線開通後しばらくは貨車に乗って通勤していたそうですが、同年12月、折戸駅の完成と同時に客車の運転が行なわれました。

 こうして清水港線は、江尻駅~三保間の8.3キロを走るようになりました。

一時は全国一の黒字線に

写真:旅客列車  全通当初、三保半島は工業地帯以外は大半が田畑で、人口はわずかなものでした。乗客のほとんどは朝夕に利用する企業の従業員だったため、旅客列車は朝夕2往復しか運転されませんでした。

 しかし、昭和27年2月、三保地区の発展とともに乗客が増え、8年ぶりに時刻表が改正になります。

巴川にかかる稼動橋

写真:巴川にかかる稼動橋

 その昔、清水港線が走っていた頃、この巴川には可動橋が架かっていました。これは列車の通行時に、上がっていた橋桁が降りてきて列車を通行させるというもので、明治23年に完成しました。

 全長88.3メートルの橋で、5基の橋桁のうち中央部が昇降するものでした。鉄道の可動橋は全国でも佐賀線と桜島線とここの3ヶ所しかありませんでした。

憩いのスポットとして新たによみがえる臨港線跡

写真:臨港線跡 臨港線跡はサイクリングロードと遊歩道として、清水の人たちにかなり利用されているようだ。

 地元の人に聞いたところでは、朝の通勤・通学の時間帯には、三保から清水市街へ自転車で通学する学生、三保の工場へ通勤のため向かう人たちのラッシュになるという。

 折戸湾のあたりを歩いていると、港の匂いがしてくる。歩いてみないとわからないことだ。臨港線は今では人々に安らぎを与える、なくてはならない存在となっている。