清水港のあゆみ

年号 西暦 出来事
飛鳥時代
日本書記に「斉明天皇が百済救済のために駿河国に船を造らせた」という記述があり、庵原氏が百済救済の将だったと言われることから、船は清水港周辺で造られたと言われている。
戦国時代
今川・武田・豊臣ら群雄の戦略基地として用いられる。
江戸時代
江戸と大阪、東海各地を結ぶ重要な港として、米と塩を主に扱い、多くの千石船などで賑わう。
明治11年 1878 現在の清水マリンパークの周辺に波止場が築造される。
(清水港近代化のはじまり)
明治29年 1896 開港外貿易港に指定(10月)。(勅令第316号)
明治32年 1899 開港場に指定(8月)。外国との貿易が始まる。(勅令第342号)
明治39年 1906 製茶の直輸出第一船、神奈川丸が北米に出港(5月)。静岡茶を初めてアメリカに輸出。お茶の輸出が盛んになる。
明治42年 1909 静岡県が清水港第一期修築工事に着手(5月)。(〜大正3年)
大正10年 1921 内務省横浜土木出張所清水港修築事務所開設(10月)。(清水港湾事務所前身)
国直轄工事として、清水港第二期修築工事に着手。(日の出岸壁等の整備)
大正12年 1923 関東大震災発生(9月)。清水港が京浜地区からの避難者の受入拠点・救援物資輸送拠点として機能する。震災復興により木材需要が高まる。
昭和2年 1927 折戸湾に貯木場完成。日本有数の木材輸入港となる。
昭和4年 1929 清水港丙岸壁(現・日の出岸壁)に第1船「泰仁丸」が入港(5月)。(初の接岸荷役)
昭和5年 1930 清水港からマグロ油漬け缶詰を米国に初輸出(5月)。以後、輸出の有力商品に。
昭和13年 1938 清水港第二期修築工事が完了(3月)。
昭和20年 1945 空襲や艦砲射撃により清水港が大きな被害を受ける(7月)。
昭和27年 1952 地域経済の回復・成長に伴い、輸出入貨物が急増。特定重要港湾に指定(2月)。
昭和37年 1962 興津第1・第2埠頭の建設工事に着手(8月)。(〜昭和49年)
昭和39年 1964 清水港の貿易額が初めて1千億円を超える。
昭和45年 1970 清水港で初のフルコンテナ船「パシフィックバンカー」が富士見埠頭に入港(1月)。本格的なコンテナ物流時代の幕開け。
昭和46年 1971 袖師第1埠頭の建設工事に着手。(~昭和54年)
昭和55年 1980 清水港の貿易額が初めて1兆円を超える。
昭和57年 1982 袖師第1埠頭コンテナターミナルが完成(3月)。
昭和63年 1988 市民に親しまれる港づくりと、広域的な観光交流拠点の形成を目指し、日の出地区再開発事業に着手。(~平成11年)
平成2年 1990 豪華客船「クイーン・エリザベスⅡ」が初寄港(2月)。この年から多くの客船が清水港を訪れるようになる。
平成4年 1992 産業界・市民・行政の「共創」による美しいみなとづくりを目指し、「清水港・みなと色彩計画」が策定される(3月)。
平成11年 1999 開港100周年。日の出地区の再開発事業により、ドリームプラザやマリンパークがオープン。清水港の新たな賑わい・交流拠点に。
平成14年 2002 駿河湾フェリー(清水港-土肥港)が運航開始(4月)。
平成15年 2003 新興津コンテナターミナル(第1バース)が供用開始(6月)。
平成18年 2006 お茶直輸出100周年。
平成23年 2011 国際拠点港湾に指定(4月)。
平成25年 2013 新興津コンテナターミナル(第2バース)が供用開始(5月)。
平成29年 2017 外国客船の寄港増加を受け、国際旅客船拠点形成港湾に指定(7月)。
平成30年 2018 河岸の市などが、「みなとオアシスまぐろのまち清水」に登録(6月)。
平成31年 2019 「釣り文化振興促進モデル港」に指定(3月)。